2010年12月30日木曜日

出発!

一週間程、東京へ行ってきます!
予定通りにいきますように!!

2010年12月28日火曜日

方向転換

やらなきゃいけないことがたまって、頭の中がいっぱいになって、やりたいことができなくて。
大事なことを忘れてた!イライラしちゃいけない!
楽しく楽しく!
自分から、気持ちをつらい方にもっていくことないよね。

2010年12月26日日曜日

Happy Christmas

こんなに幸せな気持ちになれるなんて。

もって帰ってくるときにちょっと崩れちゃったけど、
今までで一番おいしくて、がんばったなーって思えた。
今度作り方聞いてみよう!って教えてくれるはずないか。。。

2010年12月23日木曜日

オーバーワーク

もっと頑張れると思ったら、体がダメだよ!って言ってきた。

もっともっと、自分を知ろう!

2010年12月12日日曜日

目的の意外性

「目的の意外性」これだけ聞き取れた。
意外な目標、目的、夢。考えてみよう。

2010年12月9日木曜日

カウントダウン

札幌での日々も、あと少し。
何を決断して、どう過ごして、何を選んでいくか。
悔いが残ったっていい。
毎日を一生懸命生きていけば、良かったと思えるはずだから。

2010年11月26日金曜日

明日は土曜日。

どうしてもモチベーションがわかない日は、悲しい。
そんなときは、少しのことが、ものすごく大きくなって、自分に降りかかってくる。
もっともっと、自分がしたいように。言いたいことを言って。
イライラなんかしないで、楽しく、ね。


2010年11月23日火曜日

あれもこれも、出来ない自分を、少しは受け入れられるようになってきた気がする。
これって、成長したっていえるんじゃないかな。

2010年11月19日金曜日

反省!

う~ん。
何が悪かったかしっかり反省して、次につなげよう!
もっともっと、色んな人と話して、悪いところを少しずつ直していかなきゃ。

気が合う人もそのうち見つかるかな。

2010年11月10日水曜日

表と裏

自分のしたいようにしなきゃ、もったいないよね。

もっと喜怒哀楽を表に出したっていいし、いつも笑ってなきゃいけないなんて決まってない!

もし自分のことを嫌ってる人がいれば、それと同じ数だけ自分のことを好きな人がいるって信じたい。

2010年11月5日金曜日

刺激!

ネペンテスのレセプションパーティに行ってみました。
やっぱりまだまだだなぁ。

コミュニケーション能力を上げなきゃ!
色んな人とお話しするチャンスなのに!

もっと成長しようっと。

2010年10月23日土曜日

ミス。

ミスをして、ミスを恐れてミスをして。
失敗が重なる日は、悲しい。

2010年10月17日日曜日

ゆれる

みんなたくさん悩んで、泣いて。

自分が少しでも助けになってあげられたら。と思う。

2010年10月13日水曜日

お休み!

今日はやっとお休みです。
最近、今自分は生きてる!って思うと、少し気分が回復します。

一ヶ月とちょっと、少しは平常心を身につけられたかな。慌てずに、マイペースに。

映画を観て、本を読みたかったけど、今のところ寝てばっかりです。
まあそれでもいいよね。今日は回復に集中しよう!

2010年9月25日土曜日

Jacques Marceau

今日も何とか乗り切りました。
もっと自分をほめなきゃ!


マフラー買いました。
デットの生地で、カシミア100%です。
気が早い?いいえ、札幌ではそろそろ必要です!

2010年9月20日月曜日

頭を使おう

きびしいです。
毎日一日中緊張して、怯えて、震えてる。
どういう態度で、どういう話し方で、どう行動するのか。
それは自分?

頭が混乱してしまいます。

必死でやるだけなのに。
リラックスして。深呼吸して。

2010年8月21日土曜日

ごほうび!

一ヶ月頑張ったご褒美に、(というか一ヶ月が終わる前でしたけど)
セールになっていたブラックフリースの伊勢丹別注のシャツを買いました!

買うと決めて行ったのに、最後まで迷ってしまいましたが、やっぱり最高のシャツでした!着るとテンションが上がります!
もとむさんありがとうございます!ずーっと着ます!

今まで見た中で一番かっこいいショッピングバッグでした。

2010年8月19日木曜日

終了!

一ヶ月頑張りました!
楽しかったです。
次の目標設定を、早めにしなければ!

でもここ2,3日夏風邪で気力も下がってしまいました。
考えるべきことの多さが自分の脳のキャパシティを超えているような気がします。
一つ一つ、考えなきゃいけないことを減らしていこう!

2010年8月18日水曜日

カポーティ

気になった点をいくつか。
衣装はかなりの出来のよさで、50年代後半、60年代前半の質がよく再現されている。
特に二人の犯罪者のヘアメイク、衣装は最高で、エディ・スリマン的な要素を感じた。
シャンブレーのシャツがかっこいい。

カポーティが家のなかの独房へ訪問するシーンでは、犯人が鉄格子まで近づけば、カポーティを上から見下ろすショットが入り、離れれば、下から見上げるショットが入る。
ベタではあるが、まだ信頼関係が気づけていない状態で、カポーティが犯人を恐れているという心情を表している。

犯人とカポーティの信頼関係の描き方という点では、かなり省かれているという印象を受け、ここは省く点ではなく、既に長い上演時間をさらに延ばしてでも、描かなければいけなかったと感じた。

監督のベネット・ミラーは劇映画初監督のようだが、それを感じさせなかった。
しかし、賞を取れるレベルではない。

2010年8月12日木曜日

追い込まれて。

なんて自分は意気地なしなんだろう。
もっとはっきりして、行動しなくちゃいけないのに。
なにを怖がって、逃げてるんだろう。
たくさん一人で考えてきたんだから、きっとできる!
あの日々は、絶対無駄にしちゃいけない!

2010年8月9日月曜日

dris van notten

ヒット!
来春夏は、コットンに薄いレザーパッチが多そうだなあ。

2010年7月30日金曜日

勇気!

全身の勇気を振り絞って、話しかけました。
色々お話してみたかったけれど、握手だけしてもらいました。

一瞬の出来事だったのに、ものすごく疲れました。
頑張ったー!よかったー!
後悔はありません!

2010年7月23日金曜日

ウエスト・サイド物語

観終わってから、年代を見て、驚いた。1961年!!
ストーリーは(共感はできないにしても)まさに青春ムービーの古典で、
衣装は、理由なき反抗のように、スリムジーンズに袖を折り返したTシャツ、もしくはその上にスイングトップ。そして髪型はリーゼント。

色彩のコントラストが非常に強いカメラを使って撮影されている。(おそらくアメリカン・グラフィティもこの映画と同じようなカメラを使っている)
ダンスシーンでの移動ショットや所々で使われる画面切り替え時のサイケデリックな色使い、めまいを意識したであろう階段ショット。

ミュージカルにしては、音楽にはそれほど興味が湧く曲はなかったが、暗めに統一したセット、照明や、全体を通して考えれば、70年代前半といわれてもおかしくはない。



2010年7月22日木曜日

初日!

昨日は開館記念日だったので、常設展が無料で観れたので、行きました。
近代美術館はガレとかのガラス以外はいいのをあまり所蔵してないように感じます。
でも2008年のフジタ展で製作されたステンドグラスを新たに所蔵したみたいで、それが観れたのは良かったです。

不景気だから、レオナールフジタの絵を買わないことにしました。とか前言ってたけど、そんなの絶対おかしい!

2010年7月17日土曜日

勉強!

レセプションに行きました。

色々お話できました。

自分を過信しすぎないこと。

目の前に少しづつ目標を作ってクリアしていくこと。

自分自身の感覚を大事にすること。

がんばり過ぎないように、がんばろう!

2010年7月14日水曜日

古代ローマ帝国の遺産

近代美術館に行きました。
絵が少なくて、博物館みたいになってました。
アクセサリーが良かったです。


ミネルウァの像を一目見て、鳥肌が立ちました。こんな気持ちになったのは久しぶりかな。はじめてかも。
合計で15分以上ミネルウァをずっと観ていたような気がします。

2010年7月9日金曜日

昨日学んだこと。

ラモーンズはやっぱりみんな大好き!
うまく伝わらなくても、口は動かすこと。
実が腐っていたら、根はもっと腐っていること。
グーフィー以外の性別はみんなメス?
頑張ろう!頑張ります!

2010年7月5日月曜日

ゆっくりと

今日は頑張りました。
また少しずつ、ゆっくりと、歩いていければと思います。
色々な方たちのおかげです。ありがとうございます。

2010年7月4日日曜日

ドイツ!

またもやtbsはあからさまにドイツを応援しません。
中継はフェアじゃなきゃいけないのに。大勝して憂さ晴らしできました。

舌戦では先に挑発をしかけて、相手が乗ってくれたからまだ良かったものの、相手に混乱を与える挑発じゃなく、団結を与える挑発だったので、危なかった!相手に混乱を与えられるのは、モウリーニョくらいしかいません。

もしベロンとディエゴミリートがいたら、きっと変わってたなー。

2010年6月28日月曜日

ドイツ対イングランド

やった!
ゲルマン魂、98年にゲームで使い始めてからいつも密かに応援してます。
tbsの解説と小倉さんの頭の悪さが際立っていました。
ミック・ジャガーくらい知っておいてください。

どっちもイングランドを応援してるのがバレバレだっただけに嬉しいです。
でもゴメスもキースリンクも機能してなかったのが気がかりです。

バックラインとボランチの間の守備も危ないので、メッシがきたら怖いけどがんばれ!

2010年6月25日金曜日

砂の女

「砂をかぶるとカビが生えてしまいます。」
「砂漠の砂は乾燥してるんだから、カビなんて生えるはずがないじゃないか。」
この意味のわからない会話を理解する必要なんてなく、ただ楽しめるようにならなければ、シュールレアリスムを楽しむことは難しい。

日本のシュールレアリスムを代表する作家、安部公房の原作であるこの作品は、学者が見知らぬ村民に砂漠の中の蟻地獄のような穴の中の住家に泊まらせられ、そこから抜け出せなくなる。
当然そこから這い上がろうとするが、その深い穴の中から外の世界を見るために抜け出そうとする姿は、手塚治虫の「火の鳥黎明編」を思い出した。

勅使河原宏監督はクローズアップを多用し、そこから時間を掛け、じっくりとスライドさせることにより、じわじわと観る者に恐怖の感情を与える。
音楽も非常に効果的で、映像のタイミングにあっていることから映像が出来上がってから音楽をつけたと思われ、その不協和音は、恐怖のイメージをより強くする。
岸田今日子さんを起用したことも当たっており、これもまた、雰囲気を高める要因となっている。
また、衣装、セット、照明の質も高い。

日本映画のシュールレアリスム作品として、トップ3には間違いなく入るであろう傑作。

eminem-Recovery

恥ずかしながら、中学生のときからエミネム好きなので、新しいアルバムを聴いて思ったこと。

relapseも出来としてはイマイチだったけれど、今作は前作よりも悪い。
スキットがないという今までにない作り方によって、アルバム全体としての統一感は失われ、07年から10年までにレコーディングされたことで、relapseのB-sideプラス、新曲を何曲かいれただけで、アナウンスされていた通りにrelapse2として出しても大差はない。ただ、セールス的には、タイトルを変えたほうが売れるだろうから、その考えが働いたのだろう。

曲をみると、やはりクリエイティビティの低下は感じる。新しいプロデューサーを何人か入れているが、ギター、シンセサイザー、スネアなどを多用した、曲としては明るく、現代的な作りで、エミネムの一番の良さである緊張感が薄れている。
また、BPMもアルバム全体を通してみると上下の差が少なく、1つの作品としての完成度を下げている。
まあタイトルもリカバリーなので、エミネムは楽しんでこれを作ったんではないかな、と思う。
次の作品があれば、おそらく1から作り始めるはずなので、また復活してほしい。

jil sander

最近洋服もたくさん見るので、偉そうにレビューします。


ジルサンダーは完全にラフシモンズの支配下に置かれた。
蛍光色を合わせるこの色使いは、2000年代前半にギャルソンでよく見た気がする。
これだけの色を使っても、素材、カッティング、シルエットはやはりジルサンダーで、清潔感、高級感を残している。

ジルサンダー版ポールスミスストライプや蜷川実花の花柄もいい。
おそらく11ssは雑誌やセレクトのオリジナルで蛍光色のカラーパンツやトップスが今年の流行として紹介され、ジルサンダーのことなんて知らない人たちが買っていくと思うと寂しい。

2010年6月23日水曜日

ざーざーざー

今日学んだこと。
僕が乗っている自転車は、雨に濡れるとリンリンって鳴らすところが音がこもって全然響かなくなって、効果を発揮できない!

オックスフォードのシャツも、コーデュロイのパンツも、スプリングコートも、雨でいい味がでますように。

2010年6月20日日曜日

プリティ・イン・ピンク

全体が80年代特有の安っぽさに溢れているものの、品のよさを保っているのは、60年代の影響を受けたと思われる、撮影機材、照明があるから。
部屋の中は常にやや薄暗く、すべてに照明を当てているシーンはない。
衣装も、ラストのドレスを除けば、80年代という時代の良さをみることができる。

ジョンレノンの「Love」を口ずさみ、オーティス・レディングの「try a little tenderness」に合わせて踊る。また、ニューオーダーやエコー&ザ・バニーメンなど、一流の音楽を使っている。

アンディに責められ、困惑するブレーン役のアンドリュー・マッカーシーの金魚のような目の動きはうまい。

もしも中学生か、40歳以上が青春を思い出すのならば、楽しめる。

2010年6月17日木曜日

I'm starving!

知識に飢えてきています。
本屋に行くと、知識欲が溢れます。

サッカーばかり見て、映画の量が減っています。
テベス、ルーニー、リベリ、ガットゥーゾ、男性ホルモンが多そうな選手が好きです。

ピッティウォモが始まったので、コレクションも早くみたいです。
レディースはもうやってたみたいで、サンローランが良かったです。

2010年6月13日日曜日

達成!

やっと豊饒の海4部作を読み終わりました!
中断していた期間が長かったので、多分2年くらいかかったような気がします。
読書は苦手ですが、少しずつ色々読んでみます。

街に行くと、札幌市民の半分が嫌っている偉大なお祭り、よさこいソーランが今日最終日でした。
お祭りで踊りを見るのに、お金を取るなんて、なんて楽しい考えなんでしょう!

集団でやれば何でもできる!街の主役は自分たちなんだ!という精神には吐き気がしますが、自分の中のどこかに、一回加わってみたいな、という気持ちがあるような気がします。でも多分5分で飽きます。やっぱり嫌いです。友達がやっていたので、悪口はいえません。悪いのは、ごく一部の人達なんです。

2010年6月10日木曜日

めし

原作から映画が作られることは多いが、しっかりとした完成度を保っている作品は、意外と少ない。
多くの作品は、同じようなミスを犯してしまっている。そのミスとは、回収されない伏線の多さ。つまり、それは原作の情報量の多さを削り切れていない事からきている。

この作品は原作者が亡くなったために、原作が完成していない。そのため、結末を作る必要があった。
その結果、結末が浮いてみえてしまっている。原作は読んでいないが、おそらくラスト5分が映画用に作られた結末ではないか。むしろ、これを映像化するならば、ドラマ化するべきだった。

嵐はその後に晴れがくることの象徴、ネコは三千代の孤独の象徴として描かれている。
しかし、この終わり方にするならば、ネコが逃げてしまい、それでも三千代は笑っている。という終わり方でも良かった。

音楽の使い方も特徴的に感じた。夫婦ゲンカのシーンでは、スリラー映画のような音楽を使っている。このことで、不気味さまでも感じさせる。
また、川端康成が監修を担当しているだけあり、脚本、セリフのセンスは光る。

原節子さんの嫉妬の演技も素晴らしく、映画の質を高めている。
あんな態度をされるなんて。女性は怖い。

2010年6月8日火曜日

いろいろ

日曜日は色々しました。
久しぶりに幼なじみと会ったり、5,6年ぶりに会った友達も。
北大でお祭りやってたので、勇気を出して行ったら、もうお祭り終わってたり。でも一回でも色々見れてよかった。

大丸に行って、ミッフィー展が月曜日までだったので、観てきました。
うさこさん、自分の中にたまってた悪いものを、スーッと取り払ってくれました。
こんな気持ちは、ムーミントロールさんを観たときと同じです。

ポスターも良かったし、たれ耳と、おじいちゃんにマフラーあげる話も良かった。
はらぺこあおむしとの競演もみれたし、深澤直人のふかふかの椅子とテーブルも。

たくさんリラックスできました。

2010年6月7日月曜日

Faster, Pussycat! Kill! Kill!

音楽と同様に、映画においてもオープニングは重要だ。良ければ信頼を得られるし、そこで興味を失ってしまえば、その後は観てもらえないか、作品を通して信頼を回復するしかない。

カルト映画界においてのロバート・ジョンソン、クロスロードで映画の悪魔に魂を売ったであろうラス・メイヤー監督の最高傑作であるこの作品のオープニングは、映画史上ナンバーワンといってもおかしくないほど、キレている。

ウッドベースに乗せ、黒の画面に、ナレーションの声を音声波形のように流す。これはもう、一流のアート作品として十分に通用する。
さらに、この映画のために書き下ろされたであろう「Run pussycat」という最高!!の曲に乗せて、ゴーゴーガールズは踊り、男たちは狂う。
これだけで、映画1本分の満足感は得られる。

この映画は、砂漠のシーンが多い。そこでは、被写体を下から見上げるようなカットがいくつかある。その撮り方はred hot chili peppers の「give it away」のPVに影響を与えたのではないかと感じた。
3人のPussycatたちが暴れる。それだけしかストーリーはない。いや、それだけで十分だ。だって、楽しいんだから。

Welcome to Violence!!

2010年6月6日日曜日

戦場でワルツを

いい映画は、なぜ?の疑問に答えが用意されている。
なぜ薬指に指輪をはめているのか、なぜ病気なのか、なぜ不自然な場所にこれを置いているのか。
この映画のなぜ?は、なぜこの作品はアニメーションである必要があるのか?これが一番の疑問として頭に浮かぶ。

このストーリーならば、実写でも十分に機能するし、アニメーションでしかできない演出もそれほど多くはない。ではなぜアニメーションにしたのか?その答えは、ラストシーンにある。
ゴーン、ゴーン、という鐘のような音に乗せ、戦争による悲惨な虐殺を実写で映し、この映画は終わる。

この映画と似たような手法で、サブリミナル効果というものがある。一瞬だけメッセージをはさみ、観客の潜在意識を刺激する。時間的には圧倒的に短いにもかかわらず、そちらのほうが記憶に残る。

つまり、この映画が本当にみせたいのは、虐殺の記憶であり、その1,2分をみせるために、約80分のアニメーションが存在する。結局、それまでのアニメーションは、実写のための前座でしかない。

ディティールについては、煙草の煙などが、一部CGになっているが、そこはアニメーションで表現したほうがいいのではないかと感じた。おそらくこのアニメーション全体も、5年も経てば古く感じるのではないか。

ただ、ぶつ切りにしたようなエピソードの組み立て方やリズム、テーマをどのように観客に感じ取らせるか。など、観るべき箇所はいくつもある。今という時代だからこそ、この表現ができるともいえる。

2010年6月3日木曜日

ローズマリーの赤ちゃん

例えば、目の前に中身がわからない箱があれば、この中には何が入っているのだろうと考える。
生き物かもしれないし、機械かもしれない、爆弾かもしれないし、毒ガスかもしれない。何も入っていないという事だって考えられる。想像上の選択肢は無限にある。

ではもし、大きくなってきたお腹の中にいるのが、赤ちゃんではない可能性があったら?この映画は、妊娠している人には絶対に薦められない。ロマン・ポランスキー監督は、不安とともに大きくなっていく想像力をうまくついている。

環境の変化、自身の変化、徐々に広がっていく不安は、周囲の人間すべてを敵に変え、唯一信用できる自分自身の中に、信用できない物体が存在している。
また、ところどころで使われる時計のカチカチという音は、時間の経過とともに、やがてくる恐怖と不安に追い詰められていることを表現している。

ローズマリー役のミア・ファローは、キャスティング、演技ともに最高で、歴代の映画の中でもトップ3に入る演技だったのではないか。
音楽も一流で、この映画の持つ恐怖を、しっかりと支えている。

悪い結果であっても、自分が作った料理は美味しく感じるし、作ったものにも愛着が湧く。自分の中から生み出されたものは、どんなものでも愛情は生まれる。

2010年6月1日火曜日

イングロリアス・バスターズ

カートコバーンはいつも汚れた服を着ているイメージがある。スティーブ・アルビニだって、エディヴェダーだって、服は汚れている。彼らにとって洋服は汚れているのが当たり前で、汚れていなくては気がすまないんだろうと思う。

クエンティン・タランティーノ監督にとって映画は、エンターテインメントではないといけなく、殺人がなければ映画とはいえない。おそらく殺人によるアドレナリンの分泌が観客を一番興奮させる、と思っているんではないだろうか。

この作品は約2時間半あり、普通の映画よりも長い。しかし、この内容からみて、この長さは、適切か、やや短く、長くはない。
タランティーノ監督はおそらくこの長さを気にしていて、観客の注意をそらさない工夫がみられる。
全体の約30分ごとに、バイオレンスを入れ、20分ごとに、クリアなレコーディング状態の音楽を、効果音のように音量を上げて挿入する。
これらをすることにより、観客は2時間半という長い時間を、集中力を極端に下げることなく観ることができる。

ブラット・ピットの演技もエンターテインメントを感じさせる。訛りの入った英語を使うこの役は、「あのブラット・ピットが!」と思わせることしか目的はない。

衣装や編集、特殊効果でここは違う、と思う箇所があり、映画としては完璧ではないかもしれない。
ただこれはエンターテインメントなんだから、小さいことは気にせずに楽しもう。

さようなら、こんにちは。

最初の20年こそが人生の一番長い半分だ。
この言葉通りだと、僕は人生の半分と一年を過ぎ、22歳になりました。
この年齢になることが想像できず、もうどこか違う場所に行っているはずだ。とずっと思っていました。でも僕はまだここにいます。
宇宙の歴史からみて、21年なんて、塵よりも小さく、存在なんてしてもしなくても、変わらないのかもしれません。
今、毎日のように、走って、映画を観て、音楽を聴いて、本も読めるようになりました。
20歳の一年よりも、たくさんの経験をして、たくさん知り合いも増えました。

きっと、いや、どうなるのかわかりません。
自分が満足できる、何かをのこせますように。

2010年5月29日土曜日

William Morris

昨日は、大通りのフランス語学校の中でやっていた、ウイリアム・モリスの展覧会に行きました。
タダで見れるやつなので、数は少なかったけれど、すごく良かった。
アールヌーヴォーのもとになってるって言ってました。草花を多くかいてるからかな。
今日は、本屋でやってた、アイヌの展示も観ました。道具がかっこよかった。
衣装も、すべてが良いとは思わなかったけど、いくつかいいのがありました。

少しずつ

はぁ、友達欲しくなってきた。
作らなきゃ。

階段を上るイメージじゃなくて、緩やかな坂を少しずつ歩いていくイメージで。

2010年5月27日木曜日

素晴らしき日曜日

黒澤明、小津安二郎、溝口健二、もし日本映画の好きな監督を3人あげろといわれれば、ベタだけれど、この3人をあげる。ただ、小津安二郎と溝口健二は、正直言ってこの半年くらいの間に知った。
日本映画で重要な監督は黒澤明しかいない、恥ずかしながらそう思っていた。
他にも優秀な監督はいるのだが、それでも知名度、実力、実績、すべてが他の追随を許さないほどにずば抜けている。

なぜこれほどの差をつけられたのか。ずば抜けて高い基礎技術や、失敗をすぐ隣におくことによって生まれる圧倒的な緊張感。それだけでも大きな差を作っている。しかし、一番はそのアヴァンギャルドなアイデアではないかと思う。
あれだけの地位を築きながら、常に新しいものを求め、前へ進むことを恐れない。
時間構成、息を呑むロングショット、映画史に残る色使い、
後の外国映画監督が拝借したアイデアは数知れない。

この作品では、電車を横から追いかけるように撮影し、主人公は観客に話しかける。
おそらく電車のシーンは、車を横から走らせたか、もうひとつの車線に同時に走る電車から撮ったのではないかと思う。どちらにしても、重要ではない場面でこの手間のかかるカットを撮ろうなんて、並みの監督ならば考えない。

観客に拍手を求めるシーンでは、それまで不幸なカップルの傍観者でしかなかった観客が、一瞬にしてこの映画の登場人物になる資格を与えられる。

さらに、この作品では衣装も非常に質が高い。40年代という時代もあるが、そのボロボロの衣装は、高級感が漂っている。

もしもタイムスリップをすることができるならば、この映画が上映されている映画館へ行ってみたい。この時代の観客たちは、拍手をしているのだろうか。

2010年5月26日水曜日

フィメール・トラブル

大きく成功した作品の後というのは、その監督の本当の実力がわかる。
たまたま他の作品からの猿真似がヒットしただけなのか。
それとも本当に基礎技術とアイデア、インテリジェンスを備えていたのか。

ジョン・ウォーターズ監督は過去の作品から基礎技術を学び、肥溜めの中からに光るダイヤモンドのようなアイデアを、そのインテリジェンスをもって最高の作品へと昇華している。

この映画はセンスの塊のような映画だ。
チープで、エレガントで、クラシックで、モダンで、上品さはないけれど、とてつもなく下品だ。
異なる要素を感じ取ることができる作品を作るのは、たとえ偶然だとしても、簡単ではない。
この映画のために書き下ろされた主題歌、素晴らしき70年代前半の衣装、ジョン・ガリアーノが地味に見えてしまうほどのヘアメイク、すべてが最高といえる質を持っている。

自分の子供のヘソの緒を噛みちぎり、姑を誘拐し、腕を切断する。
顔に硫酸をかけられ、醜くなった顔を見て、友人たちは前よりも美しいと言う。
こんなに素晴らしいことはない。

2010年5月25日火曜日

ロスト・ハイウェイ

僕が初めて観たデヴィッド・リンチ監督の作品はこれだった。
最初は、映像が暗く、部屋の電気を消した。
次に、セリフが聞き取れず、ヘッドフォンを付けた。
観れなかった。怖かった。
たしか17歳くらいだったと思うけれど、これを観ると眠れなくなる、と体が拒否反応を起こすように、ヘッドフォンを外し、昼間に観ようと決めた。

今思えば、夜中に部屋を暗くし、ヘッドフォンをする。その映画館的な視聴方法が、デヴィッド・リンチの作品ほぼすべてに共通する正しい見かただった。
「ロスト・ハイウェイ」はリンチ監督の作品の中でも主観的なカットが多く、部屋を暗くし、ボリュームを上げた生活音をヘッドフォンで直に聞く事で、そこにいるかのような錯覚を受ける。
この手法が最大限に発揮される、ドアを開けるシーンでは、サスペンスでありながら、ホラー映画を軽く超えるだけの恐怖を受けた。

この作品は半分に区切ることができ、半分が夢のシーンでできている。
夢のような現実と、現実のような夢。
これが観ているものを混乱させ、眠りに入る直前のような浮遊感を得ることができる。

僕は、この映画からデヴィッド・リンチが見ている悪夢の中に入り込んだ。
いまだにその悪夢から抜け出せていない。

2010年5月24日月曜日

戦場にかける橋

努力しても、身を結ばない、なんてことはざらにある。結局努力は自分を安心させるためで、しなくても安心できるならばしなくたっていい。ただ、失敗すれば、それについて考える。努力に裏切られたと思うのか、精一杯やった自分に満足するのか、それとも足りなかったのか。いや、他に問題があったのか。

僕はサッカーをやっていた時、精一杯努力したつもりだった。いや、努力している、という自分に満足してしまっていたのかもしれない。自分への失望は大きかった。

この映画に登場する斉藤大佐はプライドを傷つけられ、失望する。しかし、日本の掛け軸を大佐と同じ画面に横並びで映すことで、日本人としての誇りを傷つけられたことを意味し、またその誇りをすべて失ったわけではないということを表現している。

映画の後半では、テンポを遅らせ、音楽を減らし、鳥の鳴き声などの自然音を多く入れている。
ゆったりとしたリズムは、戦争による殺人は罪になるのか、を観客に考えさせる狙いがあり、台詞を減らし、音楽を入れないことで、銃や火薬による爆発音をより際立たせる。

衣装もよくできている。ほぼすべての登場人物が着ているサファリシャツは汚れ具合に差をつけることで、階級の違いを表している。

もしも橋を作らなかったら?いや、後悔したとしてもこの壮大な努力はきっと必要だった。
悪いのは努力をしたほうじゃない。

2010年5月23日日曜日

スイッチ

ふと気がつくと、声が口から出づらくなったり、なにを喋ったらいいか自分でわからなくなるときがあります。どうしてそうなるのか、自分の中のスイッチを探さないと。

革を買ったので、道具を早く手に入れて、作りたいなー。

クロコダイルかヘビか、一匹丸ごと貼り付けたように見えるアイデアはおもしろいと思いました。

最大のミス!

チャンピオンズリーグを見忘れた。。。。。。。。。

2010年5月22日土曜日

a single man

この映画は30分くらいまで観てやめてしまったので、レビューではありません。
とりあえず思ったことを記録しておこうと思います。

僕は監督がトム・フォードだということを意識しすぎたのかもしれない。
どうしても途中から、トム・フォードのコマーシャルにみえてきて、お金を適当に使いまくって、ただの趣味でこの映画を作ったんではないかと思い始めると、イライラしてきてしまった。

まず、主人公コリン・ファースのシャツとネクタイはモダン過ぎるんじゃないか、と思った。
おそらく撮影機材の影響か、編集の段階で、エフェクトをかけたか、その影響もあるかもしれない。映画全体の色使いも違う。
ただ、コリンファースの眼鏡は、おそらくフェリーニの8 1/2でのマルチェロ・マストロヤンニの眼鏡をイメージしていて、よくできていた。もしかするとTマークがないので、ヴィンテージかもしれない。
僕が思う映画の衣装というのは、その人物が本当にいつも着ている服にみえるかどうか、着させられてはいないか、ということをみているけれど、この映画に関しては、全員がピカピカの新品を着させられているというイメージを持った。

もちろん洋服としては、最高のレベルにある。でも、もっと汚れた服を着ている人物がいないと、雰囲気はでないし、1962年という設定も、いまいちリアリティが出ない。

ところどころスローにする演出も効いていない、カットの切り替えのタイミングも悪い、音楽の使い方も下手でトム・フォードに映画監督としての才能はない。
お金をかけていることが、音楽やセットをみてもわかるだけに、余計にイライラさせられる。
十分にスタッフや機材にお金だけかけて、基礎技術やアイデアが足りないのをみると、レディ・ガガを連想した。

全部を通して観ていないので、偉そうなことは言えない。
ただ、もしトム・ブラウンが映画を作れば、きっとこの作品以上のものを作れる。

2010年5月20日木曜日

お祭り

もう行くことができないかもしれないから、神社のお祭りに、多分小学生のとき以来、行ってみました。
懐かしい気分を少し思い出しました。小学生のパワーはすごいな。

一周して、なんか具合が悪くなってきたので、帰りました。
でも行けてよかった。

わらの犬

映画を観るときは、最初の5分間は特に集中して観る。
もしその中で映画としての技術が明らかに足りていないときには、観るのを止めてしまう。
音楽、構図、衣装、セット、演技、照明、音声、、、
イライラしてしまい、観ることができない。

もしもこの映画の評判を見ていなければ、5分で観ることを止めていた。
そのくらいこの映画はダスティン・ホフマンの素晴らしい演技を除いて、技術的な面から見れば質は低い。
ただその質の低さが、映画自体に閉鎖的なイメージを与え、舞台であるイギリスの小さな村という閉鎖的な部分とリンクさせる狙いがある、と言えなくはない。

それでもこの作品を歴史に残る作品としている理由は、今の時代にも強烈に映る強いメッセージ性によるところが大きい。
アメリカ人を異国であるイギリスへ移住させ、言葉による正義を訴えても、結局は暴力は暴力でしか解決できない、というアメリカ人的な思想をあえて提示することで、サム・ペキンパー監督のベトナム戦争への皮肉的なメッセージともとることができる。

技術的な面はいまいちだが、主人公へ感情移入させるという点ではずば抜けて優れている。
小さなキズをゆっくりと積み重ね、大きなキズとなる出来事は観客にしか見せていない。
僕は数多くの映画を観てきたので、映画による刺激にはある種マヒしてしまったと思っていた。
しかし、ディヴィッドの妻であるエイミーがレイプされるシーンでは、わざと長々とみせることで、観客に負のアドレナリンを分泌させ、嫌悪感を抱かせるという手法を使っている。
僕はこのシーンで、なぜ自分はこの映画を観てしまったのか。と後悔してしまった。

同じ1971年に公開された、似たテーマを持つ「時計じかけのオレンジ」が表ならば、この映画は裏だ。しかし、メッセージ性については、こちらのほうが強烈な光を放っている。
結局人間は、追い詰められれば簡単にただの動物へ戻ってしまう。

2010年5月18日火曜日

マイ・ライフ、マイ・ファミリー

僕のおじいちゃんは、二人とも、天国に移住してしまっていて、もう帰ってきそうにない。
おじいちゃんが死んだと聞いたとき、涙ひとつ出なかったし、悲しくもならなかった。
むしろ、自分には悲しいという感情さえがなくなってしまったんだろうか、と考えて、涙が出た。

おじいちゃんは福岡に住んでいて、あまり一緒に過ごす時間がなかったからかもしれない。
もっと近い人が死んだら、悲しくなるんだろうか。

この映画のように、ボケ始めて、少しづつ弱っていって、それを近くで見ていれば、きっと、自分のことなんて考えずに、涙がこぼれる。

タマラ・ジェンキンスという女性監督は、いくつかの賞を獲得した脚本を含め、この映画で素晴らしい仕事をしている。
特に編集はこれ以上ないほど出来はいい。カット割り、次のシーンへの切り替えのタイミングは、0,1秒をも計算されていると思うほど完璧に切り替わっていく。

衣装や音楽の質は高くはないが、フィリップ・シーモア・ホフマンは今回も最高の演技をみせている。
これほどの作品が、なぜ日本で劇場公開されなかったのかわからない。
なぜこんな邦題をつけたのか。「The Savages」のままで十分だった。

この映画で死ぬのは主人公の父親で、祖父ではない。
僕の父親はまだ生きていて、まだ認知症にはなっていない。
きっとまだ、遅くない。

食人族

カニバリズム、人肉嗜食、ゾンビ、僕は変態なので、なぜかこれらに魅力を感じてしまう。
しかし、日本人にとって、人肉を食すという行為とは無関係とはいえないのかもしれない。

嘘か本当かわからないが、南米のどこかの民族は、伝統的に人肉を食す習慣が今現在も残っており、その中でも野菜を多く摂っている日本人、男性よりも女性が世界中のどの人種よりも美味だと語っていた。

「食人族」はフェイクドキュメンタリーの元祖的な作品で、最近の作品と違う点は、謎解きの要素が少ないという点がある。
食人族と文化人、本当に人間を食べているのはどっちだ。という裏のテーマはあるが、単純にリアルだと思わせるように構成されているため、特にこのテーマを隠そうとはしていない。

音楽も優れていて、全編に使われるチープで気の抜けた音は、観客の吐き気を増強させる。
演技や特殊メイク、セット、演出などもよくできており、映画としての質は非常に高い。

僕はこの映画を観て、2,3日は肉を普通に食べられなかった。亀を見ると、今でもこの映画を思い出し、目を背けてしまう。
もしもベジタリアンになろうと思ったら、真っ先にもう一度この映画を観ようと思う。

いつものように

いつものように自分で髪を切りはじめ、
いつものように止まらなくなり、
いつものように失敗し、
いつものように後悔し、
いつものようにイライラして、バリカンで坊主にすることだけは今回は我慢しました。

いつになったら、今日は成功した!って思えるんだろう。

2010年5月16日日曜日

悪い種子

天使と聞けば、きっと誰でも子供を思い浮かべる。悪魔と聞けば、僕は、怪物を思い浮かべた。ほとんどの人は、大人、もしくは怪物を思い浮かべるのではないかと思う。
しかし、本当の悪魔の姿は誰にもわからない。もしかすると、それは子供なのかもしれない。

子供の心の中には悪意は存在しない。大人になれば、簡単にアリを踏み潰してやろうなどとは思わない。
それはアリの命を奪うという悪意が心の中で働くからであり、子供が悪意なくトンボの羽をもぎ取る行為とは違う。

子供の悪意なき悪戯はどこから生まれるのか。親から受け継ぐ遺伝子がそうさせるのか。嫉妬、愛情への飢えからか。サイコパス。いや、だれかに操られているだけなのかもしれない。

この映画の悪魔の化身ローダは、愛情の飢えからではなく、殺人鬼である祖母からの隔世遺伝によって、特別な殺人の才能を与えられた。
彼女は優れた殺人鬼に必要な能力、決して揺るぐことがない冷静さを持っている。

最後は天によって罰せられるが、それはなにを意味しているのだろう。
神にしか、彼女の純粋な悪戯は罰することができないということか。

2010年5月15日土曜日

マイ・プライベート・アイダホ

ワールドカップが近づけば、サッカーをその時代の最先端のアクセサリーであると思い込み、それについて語ることが何よりの喜びである人々が、ここぞとばかりに湧いて出る。

その会話は、その旅がどれだけ裏切られ、自身を苦しめ、死に近づきながらも、その中に喜びを見出したかについての話と同じ種類の不快感を聞き手に与える。
しかし、時にはその話を聞けるだけの寛大さも持たなければいけない。

「マイ・プライベート・アイダホ」は、いくつかのファッションブランドのイメージソースになっており、映画よりも先にそのことについて知ってしまえば、そのブランドのフォロワーと同じになってしまう恐怖から、ブランドを評価していないわけではなくとも、気軽に観ることを常に無宗教でいたい人々に禁じさせる。

この映画は確かに「カッコイイ」という印象を抱かせるだけの映像演出を誇っている。
その点でガス・ヴァン・サント監督の手腕は光る。

リバー・フェニックスの突き抜けるような完璧な演技とクールさは、ジェームス・ディーンと渡り合えるだけのクオリティを持っている。ただそのことが「その他」との差を際立たせ、この作品のバランスを崩し、完成度を低める要因となってしまった。
一本の作品の中で、演技の質が変化してしまう俳優がいては、映画としては致命的だ。

好きな映画としてこの作品を選択していいのは、ませた中学生か、その兄弟、18歳までだろう。
25歳になってこれを選べば、自身の価値を下げてしまう。
どうしても言いたければ、リバー・フェニックスが好き。これだけにしておいたほうがいい。

2010年5月14日金曜日

パワー回復!

今日は僕が札幌で大好きなお店、新しいocho、キッチン トロンハにやっと行ってきました。
リラックスしすぎて、ずーっといてしまいました。ごめんなさい。
ご飯もおいしかったです。
週に一回くらいは行けたらいいなー。

2010年5月13日木曜日

プレシャス

もしも一人になる時間が多くなれば、人は悩み、考え、また、そこから逃れるために自身の想像力に身を任せることもある。
現実世界が苦しくなるほど、頭の中に住む自分は光り輝き、そこでは地獄の向こうには天国があることが保障されている。

この映画は、同情さえ受け付けない主人公プレシャスの壮絶な人生を描いた原作、脚本によって映画の質を保っている。
しかし、この作品が評価されるのはごく少数の国々だけではないかと思う。
また、撮影技術、衣装、音楽からみて、80年代後半という時代をうまく表現できているとは言えず、この作品の賞味期限は5年といったところだろうか。
つまり、公開中という言葉が持つ新しさが魅力のひとつになってしまっている。

ただ、プレシャス役のガボリー・シディベと、母親役のモニークが持つ圧倒的な存在感は、決して薄れることはないだろう。
観るとすれば、今しかない。

2010年5月12日水曜日

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド

成功にはリスクがあり、大きな成功ほど、失っていくものも多い。
知識をつける代わりに、自分の中で何かが失われていくのを感じる。
それでも知識欲は無くならない。
僕はやっと気がついた。冷静でいるよりも、必死でいるほう大事だ!

「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」という映画は二時間超あるが、全編に漂う緊張感により、息をつかせず、より時間の流れを早く感じるだろう。
その一番の要因は音楽で、これは歴代の映画と比べても、遜色ないほど魅力的に聞こえた。
レディオヘッドのギタリスト、ジョニー・グリーンウッドは、バンドでは才能の一片しか見せていなかったとばかりに、映画に完璧にマッチした不協和和音を多用したオーケストラのスコアを書き上げている。

セット、衣装については、DVD特典で見ることができる1900年前後という時代の写真をよく研究しており、ほぼ写真通りで、衣装はおそらくヴィンテージではないにしろ、非常によくできている。

また、ダニエル・デイ=ルイスの独特の間が生きている演技、爆発などのアクシデントをダイナミックに撮影した技術も素晴らしいものがある。

ただし、ラストシーンはもっと時間をかけるべきだった。

この映画の主人公であるダニエルとイーライは失うものを感じながらも、内側から湧き出る欲に飲み込まれた。
しかし、この弱さがなければ、人間とはいえない。

フレンチ音楽

Season in the sun は Terry jacks がオリジナルかと思っていたら、違ってた。
nirvanaヴァージョンが一番好きかなー。



フランチポップもいいね。

乗り遅れた!

美術館の帰りに、北海道神宮にも久しぶりに行ってみました。
最近桜の木の近くを通っていなかったので、気がついたら桜が咲いていました。
日曜日だったので、若いお花見の人たちがいっぱいいて、少し息が詰まりました。
神宮に行ってから美術館に行けばよかったと思いました。
札幌も外国人が増えてきたなー

2010年5月9日日曜日

落ち着くために。

宮の森美術館に行ってきました。
マイケル・ケンナの写真展で、よかった。
美術館で写真をみるのは、芸術の森で印象派と写真の関係っていう展覧会以来だったと思うけれど、
きっとカメラはもちろん、紙と印刷もいいんだろうなー。

森山大道の写真も少しみれて、これも良かった。

最近、絵をみたり、今日写真をみて思ったのは、いかに書いたり、撮ったりしている自分の存在を消しているか、ということで、
作品をみて、作家がいることを想像できるか?を考えてみるのもおもしろいな、と思った。

普通に生活していても、見ることができない視点から物事をみる。
大事かもしれない。

デューン/砂の惑星

ストレスに、押しつぶされてしまう人がいる。
しかし、ストレスは適度に与えられるべきであり、ストレスのない生活ほど大きなストレスを感じることはない。
ストレスには肉体的なものと精神的なものがあり、その結果に充実感を得られなければ、人間は大きなダメージとして、そのストレスを負うことになってしまう。

イレイザーヘッドとエレファント・マンによって監督としての地位を獲得したデヴィッド・リンチ監督は、前監督の代わりという形で、製作総指揮を務めたイタリア人映画プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスによって、この作品の監督にそえられた。

僕は原作は読んではいない。原作者、原作ファンには、この作品は駄作として評価されている。
この映画は最終決定権をリンチ監督が持たなかったために、劇場用に短く編集されてしまった。
編集技術は素晴らしい。ただこれでは展開が早過ぎた。
最低でも倍の5時間、もしくはドラマ化すべきだった。

しかし、リンチ監督の基本的技術とインテリジェンスによって、映画ファンには駄作ではなく傑作と見られることが多い。

ただ、アイデアを出し切れたかというとそうではないように思う。
確かに芸術的なシュールレアリスムを魅せるものの、リンチ監督は音楽にブライアンイーノとTOTOがいたために、その暗闇のノイズをあまり出せていない。

とはいえ、心の声をステレオで左右に揺らすアイデアや、費用を十分にかけたセット、衣装などは今でも十分に通用する。

デヴィッド・リンチ監督のファンならば、見逃すことはできない偉大な失敗作。

2010年5月7日金曜日

西鶴一代女

朝、昼、夜。
太陽の動きとともに、目覚め、気分は上昇し、日没は心に安らぎの時間を与え、人々は眠りにつく。
神様は、一日の時間の流れを、こう作った。

しかし、神様は映画の時間軸におけるルールを決めてはいない。
1日の間に朝が2度きても、1日が夜しかなくてもいい。

溝口健二監督は、黒澤明監督による革命的作品「羅生門」の2年後に、この作品を作った。
プロローグとエンディングをつなげるという、今でこそよく見られる手法だが、この時代ということを頭から消し去ってもなお、他の作品とは一線を画するだけの完成度をみせる。

さらに、この作品の日本音楽、雅楽や小唄の使い方は本当に素晴らしい。
主人公お春の心情、悲しみをこれ以上表現できる音楽は世界中にないのではないか。

溝口監督独特のカメラの長回し、田中絹代さんの年齢幅約40才を一人で演じきる演技、衣装、照明、録音など、どれをとっても完成度は高く、ヴェネチア国際映画祭の審査員たちは正しい評価を下した。

この映画の英語名は「The Life of Oharu」だが、お春の死までは描かれていない、お春にとって夜は寂しさと悲しみの象徴で、彼女の夜は他の誰よりも長い。
しかし、最後に迎える夜は、安らぎと、幸せに変わっていると想像できる。

2010年5月5日水曜日

ミスター・ロンリー

カート・コバーンは増えすぎた観客の歓声の大きさと自分の弱さとの違いを嘆いた。エリック・クラプトンも同じだという。
表現者は、弱さを持っている。いや、人とは違う圧倒的な弱さがないと、優れた表現者にはなれないのかもしれない。

表現者達は、いつも一人で戦っていて、それは、孤独によって自己のクリエイティビティを限界まで引き出せるからだ。

ただ、孤独を愛していて、孤立も同様に愛しているかというと、そうではないように思う。
孤立にたえられず、常に仲間を探しているが、集団での生活に嫌悪感を抱き、集団の外に出て、孤独である自分にナルシシズムを感じる。しかし、すぐにまた孤立を感じ始める。

この映画のオープニングはとにかく美しい。
Bobby vintonの「Mr.lonely」にのせて、マイケルが人形のバブルスを紐でつなぎ、サーキットをキッズバイクで走る。ただそれだけで、このオープニングは鳥肌が立つほどの美しさを誇る。

ハーモニー・コリン監督は偉大なオープニングに負けないだけの本編も作り上げた。
しかし、この美しさに映画界から与えられた賞はなかった。

Glenn Gould

Bachのariaを練習しています。
簡単な曲なのに、まだ半分くらいしか弾けません。
ピアノは小学校3年生の時がピークだったのかも。

ban Nai soi 4

今はニンニクの収穫時期だそうです。
僕が一緒に植えたニンニクも、ちゃんと成長して、おいしく食べてもらえてるといいな!

衝動

道路のそばを自転車で走っていて、歩いていて、ふと、向かってくる自動車に飛び込みたい衝動に襲われる。
5メートル、10メートル吹っ飛び、倒れる。
痛い、痛い、と泣きながら、気がつくと、上から自分の姿を見ている。

気を抜けば気分は上下し、最高に見えたものが、下品で、腐った物体に変わって見える。

すべてが夢の中の出来事で、ボタンを押せば、時間は巻き戻る。
そんなことは、決して起こらないとわかっていても、この想像が頭から抜けず、
きっと今日もまた、その夢を見ます。

2010年5月4日火曜日

スイミング・プール

僕は、映画を観るときには予告編には触れないようにしている。
もしも「衝撃のラストが!」なんて、もう観れない。
なぜ監督は衝撃のラストを用意したのか!
でも映画のレビューを書くときは、地味になるので、予告も付けています。ごめんなさい。


例えばオリンピックなんかでも、編集された映像は見たくない。
第一レースが終わり、第二レースが始まる。その間は無駄じゃない。
前のレースを振り返り、次のレースに期待を膨らませるためで、急いではいけない。

「スイミングプール」は観る人に考えをめぐらすための時間を与えてくれている。
展開を急ぐ必要はない。
起こった出来事を頭で整理し、登場人物の所作に想像を膨らませることに、この映画の楽しみがある。

またこの作品では現代のブリジット・バルドーである若きリュディヴィーヌ・サニエもじっくりと堪能できる。決して並外れた美しさを持っているわけではない、ただ、男であれば、魅了されずにはいられない。

女性と男性それぞれの目線を持つフランソワ・オゾン監督はすばらしい監督で、日本映画にも似た、フランス映画伝統のリズムを作る。

たっぷりとある時間の中で、自分には真実を見る目があるのか、この作品で試すことができる。

レクイエム・フォー・ドリーム

煙草を吸わず、酒も飲まず、コーヒーさえあまり好きじゃない。もちろん、ドラッグだってやったことはない。
僕は、簡単に言うと、子供と変わらない。ファッションとしてやるんだったら、最初から手を出さないほうがいい。

自殺とドラッグ、どっちがいいかと言われれば、ほとんどの人たちと同様に、僕もドラッグを選ぶ。
ドラッグによって引き起こされた多くの芸術を知っている。
それによってどれだけ多くの天才が死んでいったかについても知っている。
ただ、危険を冒してからでも、死ぬのは遅くない。

僕は日本人なので、この映画のドラッグについては語れない。
しかし、映画のディティールについてならば、少しは書くことができる。

この作品は、今観れば、古さを感じるかもしれない。
それは、撮影機材、衣装、音楽からきている。
音楽については、クリント・マンセルはすばらしいアイデアを出している。しかし、もう少し時間をかけてもよかった。複雑か、シンプルか。

二画面、早送り、手持ちカメラを固定し、自己を撮影するなど、ダーレン・アロノフスキー監督のアイデアは光っている。ただ完成の域までは達していないように思う。

脚本や、全体を暗い印象で覆った雰囲気はすばらしく、時を超えて語り継がれるだけの質は持っている。

It's All Right Ma, I'm Only Bleeding!

2010年5月2日日曜日

ペイネ 愛の世界旅行

もし女の子に生まれれば、花柄のワンピースを着て、草原を走り回り、お花を集めて首輪を作ってみたい、と思うかもしれない。
すべてが希望に満ちていて、宇宙飛行士だって、学校の先生だって、お医者さんにだってなれる。
夢の中でなら、何でもできる。世界にも、手を差し伸べられる。

「ペイネ 愛の世界旅行」は女の子だけの夢ではなく、世界中すべての子供がみる夢の中を映画に映し出したような作品であるといえる。

物語をやや断片的にして、観る人を心地よい夢の世界に誘うリズムを作る。

僕はレイモン・ペイネという人を知らなかった。
もしもチェザーレ・ペルフェットという監督が、「ニューシネマ・パラダイス」などの音楽を担当したエンニオ・モリコーネと、もっと多くのアニメ映画を作っていたら、と思う。

僕がなぜこの映画を観ることになったのか、わからない。
なぜこの映画が現在名作として多くの人々に認知されていないのか、わからない。

豊平川

豊平川に行ってきました。
鮭が川を上っているのもみれたような。。。
あの人に、話しかけてみればよかった。

イレイザーヘッド

一秒、一分、一時間、一日、一年、一生。
日々は過ぎ、時代は変わってゆく。
未来は今になり、今は過去になる。
新しくなった瞬間、今は古さを身に付ける。
昨日の新聞を古いと感じ、先週の雑誌の情報は更新され、去年のカレンダーももう使えない。

時代を感じる作品も愛おしい。でも、僕は時代という感覚を消し去ってくれる作品のほうが好きだ。

モノクロにすることは、時代の感覚を鈍らせる要因のひとつで、セット、衣装、メイク、音楽もその仲間に入る。
古い技術を前衛的なアイデアにのせる事で、過去と未来を混ぜ合わせ、映画の中の「今」をどこかへ持っていく。

デヴィッド・リンチ監督はこの映画で、自身の代名詞ともいえる、ノイズと主観の組み合わせというテクニックを既に完成させている。
暗闇を使った恐怖の演出は、「カリガリ博士」を思い浮かべた。

過去でも未来でもない。見た瞬間に今に変わる。
この作品に時代は存在しない。

2010年5月1日土曜日

似て、る ?

エレファントマン

僕は誰にでもやさしくしてきたつもりで、いつでも困っている人がいれば助けたいと思っていた。
でもそれは、そうすることによって自分に返ってくる何か、に期待してたのかもしれない。
やさしさが伝わり、回り、また僕のところに戻ってきてくれるのではないか。
いや、天使が僕のことを見ていてくれているかもしれない。
だから今日は悪いことなんて起こらない。

結局それは間違いだった。期待が大きくなるほど、やさしさは裏切りを好む。


エレファントマンはいつも孤独で、彼に関わるやさしさは、悪意であり、カネであり、愚か者をみる人々の笑いで成り立つ。
しかしエレファントマンの心は侵されてはいない。彼は生活をしていなかったために、大人が持つことはできない純粋なやさしさを持っている。
エレファントマンにとって死は幸福で、不幸ではなかった。

デヴィッド・リンチ監督は、映像をモノトーンにすることにより、この映画に登場する人物の闇をみせ、轟音を抽象的な映像に乗せて、エレファントマンの心の中の悪夢を表現する。
また、エレファントマンの姿を中盤に登場させることにより、観客に悪意を持たせている。
つまり、観客は映画ではなくエレファントマンの姿を見るためにお金を払っている。


僕は、誰かにやさしくするのはその人を助け、自分を助けるためでなく、
自分の心に静寂をもたらすためにするべきだった。

2010年4月29日木曜日

イエスマン “YES”は人生のパスワード

まだ脳に考える力が残っていれば、その選択に伴うリスク、得られる喜びを考え、シュミレーション、イメージを経て、行くのか、留まるのか、決断を下す。

しかし、偉人たちは留まることについての否定はしても、行動についての否定はしない。

映画「イエスマン」は映画としては一流ではないかもしれない。
基本的技術、ディティールに関しての完成度はそれほど高くはない。
ただ映画本来の役割のひとつである観客の心に影響を与えるという意味で十分に機能する。

判断、決断というプロセスそのものをテーマに添えたこの作品は、イエス、ノー、以外の返答が豊富な日本人に特に合っている作品ではないかと思う。

リスクを恐れない。
それはわかっていても難しい。

たまには肩の力を抜いて、こういう映画も観たくなる。

勝負の女神

チームが最高でも、ファンが最低だったら、頂点には立てない。
審判なんかホームに味方するのは当たり前だし、負けたからと言って文句を言うのはフェアじゃない。
ファンがホテルに押しかけて眠れないようにするなんて、
どこかの国のファンと同じ。

今世界で一番頭が切れる人ならば、そのことをわかってる。

バルセロナが負けて、インテルが勝つ。

2010年4月28日水曜日

知事公館

ピンク・フラミンゴ

オーネット・コールマン、サン・ラ、エレクトリック期のマイルス・デイビス、、、
「普通」の音楽を聴いていると、いかに既成概念を否定するか、ということに重点を置いた音楽が聴きたくなる。
しかし、すべてを規律からはみ出させるのではなく、どこかに規律を持たせなければ、作品としての機能を維持することは難しい。

「ピンク・フラミンゴ」は、パンクではなく、フリージャズで、素晴らしいアイデアとイマジネーションが自由に行き来する、大衆向け映画への皮肉的なコメディ作品であり、ゴダールなどのアートムービーを愛するジョン・ウォーターズ監督のインテリジェンスを感じさせる作品でもある。

ただ単に悪趣味を並べるだけではなく、度を越えた下品さを当然のように行わせることで、映画における波をできる限り揺らさずに、作品のリズムを統制している。
また、衣装、ヘアメイク、セットなど、細部を枠からはみ出させないことで、鑑賞に堪えられる質の高さを映画を通して保持している。

この映画は最低で、映画フリーク以外にはおすすめできない。
ただ最低な映画とは、何もなかったかのように消え去ってしまうコマーシャル主義なアイドル映画とは違う。
裸で外を歩き回ることが、いかに正常な行為だったか気づかされるだろう。

2010年4月27日火曜日

ブルーベルベット

朝起きて、テレビをつけて、ニュースを見る。夜、家に帰り、テレビをつけて、ニュースを見る。
テレビの中で起きている事は、現実に起こっていることなのだろうか。

いや、平和の中にこそ、狂気に満ちた事件は起こる。

アンドレ・ブルトンはシュールレアリスム宣言の中で「不可思議こそ美しい」 と語ったが、デヴィッド・リンチ監督はそれを映画において不可思議をただ羅列するのではなく、シュールレアリスムを意図のある不可思議に昇華することで、彼独自の美しさを表現している。

例えば、この映画には、アパートを訪れるシーンがある。目的の部屋は7階で、エレベーターはない。
階段を上り始めたところでカットが切り替わり、目的の部屋へ到着する。
息はひとつも上がらず、汗もかいていない。
現実か、それとも、、、

人間が生きていてもっとも不可思議が起きやすい行為は、夢を見ることで、そこでは予測できることは起こらない。

しかし大事なのは、夢と現実をしっかりと区別することで、超現実にみせらないという強い意識でもある。

2010年4月26日月曜日

難しいなー

うーん、文章を書くのは難しい。
読み返すと、かっこつけていて、いやらしさを感じてしまう。
もっと自分の情けなさとかを出せるようにならないと。
もっともっと知性をつけなきゃ。
でも結構続けられたことを、自分で褒めよう。
いつか納得がいく文章を書いてみたい。

2010年4月25日日曜日

ファニーゲーム U.S.A.

映画を作るときは、観客に何を感じてほしいか、を考えると思う。
感動、恐怖、絶望、孤独、笑い、喜び、
この映画は鬼才ミヒャエル・ハネケが観客をいかに苛立たせるかに焦点を置いた特異な映画であるといえる。

クラッシックとともにこの映画は始まり、ジョン・ゾーンの前衛的なハードコアミュージックに一瞬にして支配される。
このタイミング、選曲によって、この映画が特別な作品であることを感じさせる。

観客を苛立たせることは、感動させるよりも遥かに難しい。
感動させるには誰かを殺してしまえばいいが、苛立たせるには? 
頭を使い、アイデアを出す必要がある。
特に演技には細心の注意を払わなければいけない。少しでも間違えば、コメディになってしまうから。
タイミング、アクセント、表情、少しづつ積み重ねなければいけない。
被害者に感情を移入させ、加害者には同情の余地を与えない。

普通の映画では、最初に盛り上がり、中盤に落ち込ませ、最後に何かを得る。
この、基本的な映画のリズムをまったく逆にすることにより、観客により深いキズを与えることに成功している。

また、映画の舞台を閉鎖的にし、衣装、音楽に気を使うことにより、時代背景を消していることも評価できる。いつ観ても、時代が違うから自分には起こりえないという言い訳を観客に抱かせないため、という意味がある。

普段はいい人なために悪い面が目立つのか、普段が悪で、たまに良い人だと見せかけるのか。
ハネケ監督は皮肉している。

決して会ったばかりの他人を家に入れてはいけない。

メキシコ1 メキシコシティ

こんにちは。 キューバを後にし、僕が向かったのはメキシコシティ。 ここからは出国の日にちは気にせずに、のんびりと歩き回れる。 キューバからの直行便でメキシコシティに着いたのは午後7時頃。ささっと入国審査を済ませ、まずはATMを探し、メキシコペソを引き出す。キューバでは...