2010年4月29日木曜日

イエスマン “YES”は人生のパスワード

まだ脳に考える力が残っていれば、その選択に伴うリスク、得られる喜びを考え、シュミレーション、イメージを経て、行くのか、留まるのか、決断を下す。

しかし、偉人たちは留まることについての否定はしても、行動についての否定はしない。

映画「イエスマン」は映画としては一流ではないかもしれない。
基本的技術、ディティールに関しての完成度はそれほど高くはない。
ただ映画本来の役割のひとつである観客の心に影響を与えるという意味で十分に機能する。

判断、決断というプロセスそのものをテーマに添えたこの作品は、イエス、ノー、以外の返答が豊富な日本人に特に合っている作品ではないかと思う。

リスクを恐れない。
それはわかっていても難しい。

たまには肩の力を抜いて、こういう映画も観たくなる。

勝負の女神

チームが最高でも、ファンが最低だったら、頂点には立てない。
審判なんかホームに味方するのは当たり前だし、負けたからと言って文句を言うのはフェアじゃない。
ファンがホテルに押しかけて眠れないようにするなんて、
どこかの国のファンと同じ。

今世界で一番頭が切れる人ならば、そのことをわかってる。

バルセロナが負けて、インテルが勝つ。

2010年4月28日水曜日

知事公館

ピンク・フラミンゴ

オーネット・コールマン、サン・ラ、エレクトリック期のマイルス・デイビス、、、
「普通」の音楽を聴いていると、いかに既成概念を否定するか、ということに重点を置いた音楽が聴きたくなる。
しかし、すべてを規律からはみ出させるのではなく、どこかに規律を持たせなければ、作品としての機能を維持することは難しい。

「ピンク・フラミンゴ」は、パンクではなく、フリージャズで、素晴らしいアイデアとイマジネーションが自由に行き来する、大衆向け映画への皮肉的なコメディ作品であり、ゴダールなどのアートムービーを愛するジョン・ウォーターズ監督のインテリジェンスを感じさせる作品でもある。

ただ単に悪趣味を並べるだけではなく、度を越えた下品さを当然のように行わせることで、映画における波をできる限り揺らさずに、作品のリズムを統制している。
また、衣装、ヘアメイク、セットなど、細部を枠からはみ出させないことで、鑑賞に堪えられる質の高さを映画を通して保持している。

この映画は最低で、映画フリーク以外にはおすすめできない。
ただ最低な映画とは、何もなかったかのように消え去ってしまうコマーシャル主義なアイドル映画とは違う。
裸で外を歩き回ることが、いかに正常な行為だったか気づかされるだろう。

2010年4月27日火曜日

ブルーベルベット

朝起きて、テレビをつけて、ニュースを見る。夜、家に帰り、テレビをつけて、ニュースを見る。
テレビの中で起きている事は、現実に起こっていることなのだろうか。

いや、平和の中にこそ、狂気に満ちた事件は起こる。

アンドレ・ブルトンはシュールレアリスム宣言の中で「不可思議こそ美しい」 と語ったが、デヴィッド・リンチ監督はそれを映画において不可思議をただ羅列するのではなく、シュールレアリスムを意図のある不可思議に昇華することで、彼独自の美しさを表現している。

例えば、この映画には、アパートを訪れるシーンがある。目的の部屋は7階で、エレベーターはない。
階段を上り始めたところでカットが切り替わり、目的の部屋へ到着する。
息はひとつも上がらず、汗もかいていない。
現実か、それとも、、、

人間が生きていてもっとも不可思議が起きやすい行為は、夢を見ることで、そこでは予測できることは起こらない。

しかし大事なのは、夢と現実をしっかりと区別することで、超現実にみせらないという強い意識でもある。

2010年4月26日月曜日

難しいなー

うーん、文章を書くのは難しい。
読み返すと、かっこつけていて、いやらしさを感じてしまう。
もっと自分の情けなさとかを出せるようにならないと。
もっともっと知性をつけなきゃ。
でも結構続けられたことを、自分で褒めよう。
いつか納得がいく文章を書いてみたい。

2010年4月25日日曜日

ファニーゲーム U.S.A.

映画を作るときは、観客に何を感じてほしいか、を考えると思う。
感動、恐怖、絶望、孤独、笑い、喜び、
この映画は鬼才ミヒャエル・ハネケが観客をいかに苛立たせるかに焦点を置いた特異な映画であるといえる。

クラッシックとともにこの映画は始まり、ジョン・ゾーンの前衛的なハードコアミュージックに一瞬にして支配される。
このタイミング、選曲によって、この映画が特別な作品であることを感じさせる。

観客を苛立たせることは、感動させるよりも遥かに難しい。
感動させるには誰かを殺してしまえばいいが、苛立たせるには? 
頭を使い、アイデアを出す必要がある。
特に演技には細心の注意を払わなければいけない。少しでも間違えば、コメディになってしまうから。
タイミング、アクセント、表情、少しづつ積み重ねなければいけない。
被害者に感情を移入させ、加害者には同情の余地を与えない。

普通の映画では、最初に盛り上がり、中盤に落ち込ませ、最後に何かを得る。
この、基本的な映画のリズムをまったく逆にすることにより、観客により深いキズを与えることに成功している。

また、映画の舞台を閉鎖的にし、衣装、音楽に気を使うことにより、時代背景を消していることも評価できる。いつ観ても、時代が違うから自分には起こりえないという言い訳を観客に抱かせないため、という意味がある。

普段はいい人なために悪い面が目立つのか、普段が悪で、たまに良い人だと見せかけるのか。
ハネケ監督は皮肉している。

決して会ったばかりの他人を家に入れてはいけない。

2010年4月24日土曜日

似ている?気がした。

Roy orbinsonとイレイザーヘッドの主人公

赤ひげ

世の中には、不幸のすぐそばにいなければ、生きられない人がいると思う。
考えてみれば、僕もこれに当てはまるところがあるかもしれない。

苦労の先にしか幸せは得られないと思ってしまい、幸せの中にいても、気が付けば苦労の種を探している。
そして自分の苦労を嘆くことに、人生の喜びを覚えてしまう。
この映画の中にはそんな女性のエピソードが挿入されている。

彼女にとって苦悩こそが愛する恋人で、幸せは彼女にとって一番の不幸でしかない。
不幸を嘆き、幸せになりたいと願う自分の姿こそが彼女の幸せなのだ。

「赤ひげ」は医療ドラマの先駆け的な作品で、苦しみを乗り越えてなお生きていく、そこに生の喜びがあることを、強烈な描写において表現している。

また、この時代の日本映画にはめずらしく、女性のヌードシーンが出てくることも、この映画の印象を強くしている 。このシーンではやはりヌードが必要で、それは医療においての恐怖のイメージを抱かせる狙いがあったのだと思う。

少女の心の回復の速さなど、個人的に気になる点はあったが、
それでも何十年たっても黒澤明が描く「赤ひげ」は輝きを放っている。


2010年4月23日金曜日

ban Nai soi 3

このこぶたさんのお母さんは、村のお正月にたべられましたとさ。

狂気

僕は、クズで狂っていると言われるかもしれない、
でも、狂人になることはできない。

残菊物語

いつか空から天使が降りてきて、苦しんでいる自分を救ってくれるのではないか。そう思うときがある。
でもそんなことは残念ながら起こらないし、もし仮に天使がどこからか現れても、天使にすべてをゆだねるのは間違っていて、結局のところ、最後の判断は自分で下すしかない。

この映画には天使が現れて、苦しむ人を救ってくれる。
しかし男は女のことを天使だと信じないために、回り道をしてしまう。

ヌーヴェルヴァーグの作家たちから尊敬を集める溝口健二監督は、カメラを大きくスライドさせることで観る人の想像力を刺激し、舞台を大きく見せると同時に、1カットを長くし、緊張感とこの映画の持つ孤独感を増幅させている。

花は散るからこそ美しい、と考える日本人ならではの美学を感じた作品。

経年変化

     財布1号

作ってから九ヶ月くらい経ったと思います。記録用です。

2010年4月22日木曜日

ゴッドファーザー

本当にすばらしいものは、すぐに忘れてしまうものだと思う。
すばらしいという記憶だけが残り、内容は忘れてしまう。だからもう一度観たい、聴きたい、と思う。

ゴッドファーザーはまさにそんな作品で、3までシリーズ化されていること、個々の上映時間も2時間強あることも影響しているが、どの出来事が起こり、どうなったか?があまり記憶に残っていない。

ただどの場面もそれぞれ独立できるほどの美しさを放ち、動く絵画を見ているような感覚を持った。


最近は手堅くヒットさせるため、高低の差を見せるためのいわゆるジェットコースタームービーが多いが、
商業主義ではない映画は、でこぼこの道をいかに平坦に見せるために重点を置いているために、すばらしい映画が多く生まれている。
しかし3作目に関しては、商業主義に走ったとコッポラ監督自身が語っている。

ストーリー、音楽、演技、衣装、照明、構図、すべてが超一流で、すばらしいとしか表現できない映画。

2010年4月20日火曜日

bob bob bob

いつでもすぐに聞けるように、おいておこうっと。

と思ったら、カバー以外消去されてた!

その土曜日、7時58分

僕は映画において、エロティックなシーンと暴力的なシーンは同じ種類だと思っている。
観客にアドレナリンを出させ、一気に映画に注意を向けさせる。
一般的に始まって15~20分にこのシーンが多いのは、観客が映画の“説明”に集中力を切らしてきたところでもう一度映画に意識を集中させるため、と思っていて、この手法は反則的ともいえる。

この映画はベッドシーンから始まり、観たくない人は観なくていいよ。と言われているような感覚に陥る。
ここで耐えられた観客だけが、この後の映画全体からあふれ出るような緊張感を味わえる。

緊張感を演出しているのは巧みな時間軸を構成した脚本と、フィリップ・シーモア・ホフマンとイーサン・ホークによるすばらしい演技と音楽、そして誰でもたった一歩踏み外すことで、ここまで堕ちていくこともある。というリアリティによるところが大きい。

ところどころでマリサ・トメイの美しさに目を奪われてしまっても、それは反則的ではない。
ただ、邦題は考え直してほしかった。


  

William S. Burroughs

「裸のランチ」映画はこの前観たけど本は途中までしか読めてない、、、
ウイリアム・バロウズ、
ウイリアムテルごっこで妻を殺した男


2010年4月18日日曜日

8 1/2

映画の感想において「眠気」という言葉がでれば、ネガティブな印象を抱きやすいけれど、僕にとって映画による「眠気」は、その映画がいい映画であるというひとつの指標になっている。

その意味で8 1/2 は、2001年宇宙の旅に並ぶ「眠気」を僕に持たせてくれた。

映画のリズムをあえて変則的にするようなタイミングに、フェデリコ・フェリーニの盟友である、「ゴッドファーザーのテーマ」を書いたニーノ・ロータの音楽を乗せて、完璧に計算されたカメラワークの中で、
マルチェロ・マストロヤンニは、嫌味のないプレイボーイを演じている。

すべての場面がこの映画のハイライトであり、映画とはエンターテインメントであることを再確認させられた、映画史に永遠に残る傑作。


2010年4月17日土曜日

第 9地区

海外へ旅行へいけば、欧米人に生まれたかった、と一度ならず、何度も思ってしまう。
背が高く。 ブロンドで。 透き通るような青い目に。
あからさまな差別を受けたことがあるわけでもないのに。

世界最悪の都市ヨハネスブルクが舞台のこの映画は、エイリアンが遠くの星からやってきて、ヨハネスブルクに漂着する。
これはもう、意図して比喩ではなく直喩にしている。

ピーター・ジャクソンに3千万ドル渡されたニール・ブロムカンプ監督は、自身の体験を基に監督した「Alive In Joburg」を長編化した。

自身の体験を世界に伝えるというもくろみは、成功したといえる。

隠された記憶

民衆の中を裸で歩いている人がいれば、たいていの人はその人に問題があると思ってしまう。
しかし本当に問題を抱えている人物は他にいて、僕たちには見つけることは難しい。

この作品にはショッキングなシーンがあるので、本当の真実が隠されて見えるかもしれない。
ミヒャエル・ハネケが語っているように、物事が複雑なほどシンプルに、シンプルなほど複雑に描くことは映画には基本的なことだけれど、「隠された記憶」ほど、この法則を守っている作品は僕は今まで観た事がない。

ラストシーンは「ウォーリーを探せ」ぐらい難しいが、挑戦するだけの価値はあると思う。

2010年4月16日金曜日

ban Nai soi 2

マロ、ムナン、マッバ、ムスウ、、、みんな元気かな?
また会いたくなってきた。

2010年4月15日木曜日

African Brothers Band

Brothers Band はいくつあるんだろう?

ノーカントリー

印象に残る殺人シーンといえば、なんだろう。
僕にとっては、「殺しのドレス」「サイコ」
スタイリッシュに計算された「プラネット・テラー in グラインドハウス」などだろうか。

しかしなんといってもこの「ノーカントリー」の手錠で警官を絞め殺すシーンはすばらしい。
カット数を最小限にとどめたこのシーンは、今後30年は新鮮さを残してくれると思っている。

ほぼ全編で音楽が使われていないこの作品は、狂気を持った殺人鬼が持つ空気銃による発砲音が観客の聴覚に恐怖をもたらすエッセンスとなっている。

ハビエル・バルデム自身がお気に入りではないと語っていた髪形や衣装は、僕には時代を感じさせないとても魅力的なものにみえた。

There will be bloodがラストシーンをもう一度作り直していれば、アカデミー賞はどちらに転んだかわからない。

しかし、この映画にはスキがない。

2010年4月14日水曜日

2010年4月13日火曜日

ラースとその彼女

もしも映画の中の町に住めるといわれたら、この街を選ぶかもしれない。
いや、狂気に満ちたツインピークスか、シザーハンズのカラフルな町もいい。
きりがないのでこの映画に戻ろう。


ラースたちが住むこの町は、多少閉鎖的でありながらも無限に広がる優しさを持って僕たちを迎えてくれる。

ラースは心に混乱を持っているが、この町の人々と同様にすべての人たちを愛するやさしさを持っているために、他人からのやさしさを受けることを除外されるということはない。
それは、この町の人たちが常に隣人だけではなく、町の人々の心の小さな揺れに気が付くだけの余裕を誰もが持っているから。

教会、学校、会社、ボーリング場、という小さなコミュニティの中に、この町の魅力が凝縮している。


この映画を特にすばらしいものとしているのは、この町にはこれしかないというほどの衣装でもある。
美術監督の名がAdam Kimmelとなっていたが、どうやらAdam Kimmelさんは二人いるようだ。
ラースの衣装なんかは彼の作った服だといわれても、何の違和感もなかったのだが。



心におけるわずかな揺れを表現するというテーマや、川のせせらぎのようなこの映画のリズムは、
小津安二郎に似たものを感じた。

心の中の不安がどうしても取り除けないときに、この映画を観てほしい。

時代を入れ替えてみる。

60年代が90年代で、70年代が50年代、80年代が2000年代、90年代が70年代、
2000年代が80年代、そして僕が今生きている2010年代は60年代。
サマーオブラブでウッドストックで学生闘争、楽しみだなぁ。

2010年4月12日月曜日

パラノーマル・アクティビティ

うーん。うまい。久しぶりに怖い映画を観たなぁ。というのが最初の感想。
ぜひ一人で夜中に部屋を暗くして、ヘッドフォンをつけてみてほしい映画。

というのも、なぜアメリカ版リングよりも、オリジナルのリングのほうが怖いのか?
という話からになってしまうんだけれど、
そもそもホラーというのは、観る人の想像力によって夜も寝られないほどの恐怖まで高められると思っていて、舞台がアメリカよりも、日本のほうがテレビから貞子が出てくるという状況を想像しやすいし、日本人の顔の方が、外人の顔よりも怖いというのも、もちろんある。

ヒッチコックのサイコを観れば、シャワーをしているときに後ろに誰かがいるのでは、と想像してしまうし、
鏡が付いた棚を開けるシーンでは、閉めるときには鏡に映る人物が増えている。と考えてしまう。(ただこの手法は最近の映画では、フェイントがすごく多い)


要は、あからさまに吐き気を感じる映像よりも、肝心のところは観ている人の想像にお任せします。
という撮り方のほうが、より怖いと感じるのではないか。というのが僕の理論。

この理論でいくと、映画よりマンガ、マンガより小説のほうが怖いともいえる。
つまり、視覚的イメージから来る怖さよりも、頭の中に自分で作る想像的イメージのほうが怖いのだ。



この映画では、来るか?と身構えるシーンは多いが、結局なにも来ない。
そこで必要になるのが、どうやって「来るか?」と思わせるか。
それは生活音のノイズを大きくすること。
ここではおそらくデヴィッド・リンチの影響を受けたと思われる、人の喋り声の音量を変えずに、
冷蔵庫などの機械の作動音や、マイクの感度をあげたときに聞こえる、空気の音。
それらのノイズの音量を上げる。という手法を使っている。

それが臨場感を生み出し、さらにほぼ手持ちカメラという主観的な撮り方なので、自分がそこにいるような錯覚を起こし、どこかに「何か」が映っているのでは?振り向けば誰かがいるのでは?
という想像力をフルに観客に抱かせることができる。

一番すごいのは、この映画が7日間という異例のスピードで取られている件。
しかし編集は監督のパソコンで行われた、という情報しか得られないので、どのくらいかわからない。
(おそらくこの「音声」を含めた編集はかなりの出来なので、かなり時間をかけたと思われる。)

ヤフーの映画レビューを見ると、無駄なシーンが多いなどという意見が多かったが、
あれは無駄なシーンではなく、映画の中に緊張と緩和というリズムを作るためのテクニックに過ぎない。


ブレアウィッチとも比較されているが、個人的には演技の質も含め、こちらのほうがフェイクドキュメンタリーとしてはかなり出来としては良いと思う。衣装などの改善点はあるが、想像力の豊かな人にぜひ見てほしい作品。

暗い歌

今だったら放送禁止になりそう。

2010年4月11日日曜日

ブログ。

シカゴのtaviちゃんに影響されたから。
taviちゃんはうらやましいほどの才能がある。文体、知識をひけらかさず、さらっと引用をしてみせる。
すごい。

ブログからあれほどの存在になれるとは。
やっぱりインターネットはすごい、電話回線という架空の世界が存在している。

僕もあれほどにはなれないにしても、自分に期待せず、書けたらと思うけど、三日坊主になっても、
開設できたからよしとしよう。

決意を行動に移す!結果は気にしない!

コンサドーレV.S.レイソル

今日の試合は久々に熱くなったなー
我慢強い守備、強い相手と戦うと、守備で楽しくなれる。
 
福岡戦みたいにすぐに一点入っちゃうと冷めちゃうけど。

宮沢はやっぱり前の選手。トップ下が一番だなぁ
でもそれだと4-2-3-1になっちゃうし、キリノと近藤の2トップが使えない。
右にキリノ、左に内村の4-2-1-3でも面白いかも。

今日思ったのは、チャンスものにしなければすぐにピンチが来てしまうということ。
うーん、人生にも共通している。残念だけど、ピンチのほうが多いということも共通している。悲しい。



でもレイソルもフランサとアルセウがいなければ、J1レベルではないな、
レアンドロはうまい。もうフィットしている。

征也さんはもっとシュートかクロスか、判断が早くなればもっともっといけるはず。ガンバレ!

初めて

なんとなく、ブログを始めてみます。
観たこと、聴いたこと、感じたことを書きたいと思います。
文章の練習にもするつもりなので、文体が一定しないかも知れませんが、
よろしくおねがいします。

いつか英語で書けるようになって、世界の人たちに読んでもらえるといいな。

メキシコ1 メキシコシティ

こんにちは。 キューバを後にし、僕が向かったのはメキシコシティ。 ここからは出国の日にちは気にせずに、のんびりと歩き回れる。 キューバからの直行便でメキシコシティに着いたのは午後7時頃。ささっと入国審査を済ませ、まずはATMを探し、メキシコペソを引き出す。キューバでは...